東京の広告景観の考察-盛り場を対象に

Examination of Tokyo’s advertisement scenery – the amusement district as the subject.
法政大学 大学院 政策創造研究科 博士後期課程
髙橋芳文
 景観法の施行と、それに伴う屋外広告物法の改正の影響から、屋外広告物は景観の阻害要因として逆風にさらされている。一方で、繁華街では広告景観を街の活性化の資源と考える動きもあるが、法律も自治体の条例もこの相反する広告物への評価に対応しきれていない。問題は「美しい景観」の解釈の偏りと根拠に欠けた規制のあり方にあることを検証した。そして、問題解決のためには美観だけでなく、地域運営に携わる住民・来街者、広告主、屋外広告事業者、行政、それぞれの経済的利益の観点から景観整備の仕組みを作ることが重要だと結論づけた。

キーワード:屋外広告、広告景観、盛り場、都市景観、官民恊働

Ⅰ.はじめに
 看板をはじめとする屋外広告物は、都市の景観形成の阻害要因として問題視される一方で、都市の個性や活気を演出する舞台装置であり、経済的・社会的活動に不可欠な存在でもある。したがって、屋外広告物との共存の仕方は、各自治体の地域活性化の方針によってまったく異なるということだ。このように相反する方向性を併せ持つ屋外広告物に対して、規制一辺倒の法律や条例で取り締まりを図ることは非常に困難である。しかし、各自治体が定めた屋外広告物条例は、近年、規制強化の傾向にあり、このことは街の活性化だけでなく、経済活動や市民活動の質を低下させる恐れもある。東京オリンピック開催決定を受け、今後ますます規制が強化される可能性が高くなるなか、個性ある街並みと広告景観の関係性を整理する必要があると考えた。
 そこで本稿では、屋外広告物はなぜ阻害要因とされるのかを明らかにするために、屋外広告物がもっとも活用される場である、東京の「盛り場」に焦点を当てた。そして、都市論や景観論の識者の見解を取り上げながら、歓楽街における屋外広告物の経済的、社会的有効性を検証し、今後の屋外広告物における規制のあり方を考察する。
 なお、本稿で記す「東京の盛り場」とは、繁華街のなかでも特に屋外広告が高密度に集中した歓楽街を示す言葉として使用する。
Ⅱ.屋外広告物法改正による規制強化の背景
2−1.屋外広告物法の改正の概要

 屋外広告物法における屋外広告物は、「常時又は一定の期間継続して屋外で公衆に表示されるものであって、看板、立看板、はり紙及びはり札並びに広告塔、広告板、建物その他の工作物等に掲出され、又は表示されたもの並びにこれらに類するもの」(屋外広告物法 第2条)と定義されている。屋外広告物法による屋外広告物の規制は、過去4回にわたり改正されてきたが、直近の2004年の改正は、前年に施行された日本初の景観法に添う形での大改正であった。そのため、景観法の目的である「我が国の都市、農山漁村等における良好な景観の形成を促進するため、景観計画の策定その他の施策を総合的に講ずることにより、美しく風格のある国土の形成、潤いのある豊かな生活環境の創造及び個性的で活力ある地域社会の実現を図り、もって国民生活の向上並びに国民経済及び地域社会の健全な発展に寄与すること」(景観法 第1条)の文言に大きく左右される改正となっている。つまり、屋外広告物は「美しく風格のある」「良好な景観」を妨げる存在として位置づけられ、規制強化の方向に向かったのである。
 ただし、屋外広告法自体には細かい規定はなく、具体的な規制内容の大半は各自治体の条例に委ねるという仕組みになっており、地方分権の先行事例ともいえる状態にある(小出・安冨2007)。本来であれば「個性的で活力ある地域社会の実現を図る」部分を自治体に委ねたわけだが、「地域の個性とは何か」、さらに「その個性を活かす良好な景観」とは何かを議論することなく「美しい」「良好」「調和」という文言を掲げ、確たる根拠のないまま屋外広告物の規制強化を推進する動きが多く見受けられる。このように自治体が足並みを揃えて同じ方向性に進めば「個性的な地域づくり」とは真逆となり、街の活性化を図ることは困難になるだろう。
2−2.「美しい」「良い」の定義に関する問題点

 京都などの歴史的な街並みと、大歓楽街の歌舞伎町、自然豊かな田園地帯では、地域の特性がまったく異なることは自ずと明らかだ。それにもかかわらず、それらを日本の景観として同じ土俵にひとまとめにして良し悪しを語るのは無理がある。そもそも、「美しい景観」「良い景観」とは何か。整然とした街並みなのか、雑然とした街並みなのか、その良し悪しは一概には計れない。なぜなら、集合住宅が整然と並んだ画一的な街並みを「美しい」と称する人もいるであろうし、「過剰な秩序を感じさせ、かえって閉塞感を覚える」(藤田2006)人もいれば、猥雑な街並みに活力を感じる人もいる。それは、その街に住む人、行く人の好みや価値観の違いであり、それに応じた多様な選択肢を持ち合わせていることこそが東京という都市の魅力なのである。
 ところが屋外広告の規制では、「良い景観」とは、すなわち周辺環境との「調和」を保つことと同義のように扱われている。そして調和を乱す最たるものが看板である、という論調が後を絶たない。それは、ヨーロッパの整然とした街並みこそが最高であると一方的に定義づけることで、その対局となる東京の混沌とした景観を醜いとする1つの図式にすぎないのである。
 東京の混乱した街並みは、戦後の焼野原から驚くべきスピードで復興を遂げてきた日本の歴史の縮図でもあり、いわば活力の結集ともいえる。その活気ある光景を最も色濃く受け継いでいるのが、盛り場と呼ばれる東京の繁華街である。盛り場の発展は都心部の狭い住宅事情に起因していると推察することができる。応接間や書斎の代わりに喫茶店、客間の代わりに飲食店、というかたちで家の延長として発展したため(川本1997)、「日本人は都市により多くの私生活を負っている」街路従属型の生活パターンである(リチャード・ロジャース2001)という考えだ。つまり、盛り場の混乱した猥雑感は、様々な人が家の外に部屋代わりになる居場所を求めた結果、生まれた物だということになる。それならば、一人ひとりの部屋が生活習慣や個性によって異なるように、多種多様な造形物が集積するのも無理はない。それはすでに1つの文化であり、建物や看板の1つひとつが存分に個性を発揮することが吸引力、すなわち広告力となり人々を呼び寄せていることになる。その結果、盛り場には独特の活力のある空間が生み出されたのである。
 こうした景観に調和の概念を持ち込むのは、あまりにも無理がある。盛り場における屋外広告物の規制は、「調和」ではなく、個性あふれる個々の存在が他と「共存」することを目的に制定すべきなのではないか。
 しかし、こうした戦後に築かれた文化に対し、国土交通省の「美しい国づくり政策大綱」は、社会資本は量的に充足されたが、電線、ブロック塀、不揃いなビル、看板、標識が雑然と立ち並ぶ様子は「美しさとはほど遠い風景」と評し、それを改善するために行政の方向を美しい国づくりと定め、自然との調和を図りつつ整備する方針だとしている(国土交通省2003)。これを盛り場の景観に置き換えれば、まさに国が提唱する美しさとは真逆の風景ということになってしまう。つまり、すべての盛り場は、壊して更地にし、統一感のあるビルを建て直し、電線を地中化し、看板を極力排すことが美しい国づくりだということになる。五十嵐太郎は平壌を訪れた際、その景色を見て「景観論者が嫌う諸要素が、ことごとく排除されている」と感じ、「景観論者にとってのユートピアではないか」と皮肉を述べている(五十嵐2006)が、まさに同じ方向性に向かおうとしているように思える。
 問題は、景観法がこの「美しい国づくり政策大綱」をベースにしていることであり、さらに景観法を受けて屋外広告物法が改正されたことである。「美しい」「醜い」という相対的な価値基準を、絶対的な基準のように規定しようとする大筋のシナリオがある以上、規定の詳細を条例化するよう任された自治体としても、その意図を汲まざるを得ない。しかし、あくまで「美」の基準は多様であり、それらに多彩な解釈をほどこしたことで、現在の東京という多様性のある都市が作られたのである。そこには「多様なものが共存し得る」という一定の秩序がある。東京オリンピックを控え、こうした歴史を顧みないまま「美しい国」というオブラートに包んだ乱開発を行うことだけは避けなくてはならない。
2−3.東京の都市景観に対する識者の見解

 イタリアなどの街並みを理想とする芦原義信は、ヨーロッパの街並み建築の外壁によって成り立っているのに対し、東京は屋外広告物によって支配されていると受け止め批判している(五十嵐2006,48)。同様に「日本の風景を殺している半分の犯人は看板」(船瀬2004)、「視覚公害」(アレックス・カー2002)など、看板は、景観を害する代表物として批判の的になっている。また、伊藤滋は「建築家など開発者側が、好き勝手なデザインの建物を無秩序に立て続け、景観を悪くしてしまった」として、屋外広告物だけでなく都市計画そのものを批判している(五十嵐2006)。
 こうした批判の原点は、ヨーロッパを都市計画のお手本とする旧態依然とした欧米至上主義の思想から抜けきれないことにある。現に、フランスの建築家ジャン・ヌーヴェルは、篠原一男との対談のなかで、東京をヨーロッパの都市と比べて卑下することに対して「昔風の古い調和概念」であるとし、1つのパターンで都市をデザインするというヨーロッパの既存の手法には限界が来ており、東京を「21世紀を予言する都市の1つのプロトタイプ」として捉えていると発言している(篠原・ジャン・ヌーヴェル1998,26)。そして「20世紀が発明してきたもの、例えば高速道路、あるいはサインの問題が最も直截な方法で表れ」ており、「対立する概念、価値、あらゆるものが混合したかたちで出てくるのが、私の考える20世紀のアーバニズムであり(中略)それは東京に代表される日本の都市だろう」と述べている(篠原・ジャン・ヌーヴェル1998,26)。
 東京の都市景観を、「混乱の美」と称し、「現代の都市はカオスの美以外を表現できない」と一貫して提起してきたのは、建築家の篠原一男である(篠原2001)。1981年「プログレッシヴ・アナーキィ」という言葉を用いて、「混乱」を単に否定するのではなく「ここまで到達した<文化>」として位置づけている(篠原1981)。
 現在、東京の都市景観を例える際に「カオス(混沌)」の語がよく使われる。これを「美観」に相反する言葉と受け止める場合が多々あるが、世界的に評される「東京カオス」は、決して悪評ばかりではない。世界的な建築家から観光客に至るまで、ほかのどこの国にもない「最先端」が高密度に凝縮された都市として、憧憬の念を抱いて発せられる言葉でもある。なぜなら、東京のカオスとは、あくまでビジュアル面のみを形容した言葉で、治安や経済といった社会的な安定という土台の上に成り立っている。つまり、本来の意味でのカオス状態ではなく、建物から屋外広告物に至るまで、その1つ1つが時として過剰ともいえる個性を放っており、それらが集積していることを表しているのである。
Ⅲ.渋谷駅前交差点における広告景観の効果
 ここまでは、「美しい」「良好」という個人の主観によって異なる価値を基準にして景観の良し悪しを計ろうとしていることへの批判とともに、「悪い景観」として筆頭に挙げられるのが屋外広告物であるとされた背景を述べた。では、看板というノイズを排除すれば「良質な景観」に近づくのだろうか。
 そこで、「盛り場から屋外広告物がなくなれば、街の個性が奪われ都市としての活気を失う」という仮説のもと、このことを検証するために、渋谷のランドマークである駅前スクランブル交差点の写真と、そこに映る屋外広告物をすべて削除した加工写真を並べ、その変化を見比べてみることにする(写真2)。
写真1:渋谷駅前交差点(加工前)
写真2:渋谷駅前交差点(看板サインを削除)

 写真2で示した通り、看板やサインがなくなった途端、一見しただけでは渋谷とは分かりづらくなり、無個性な街に変貌することが分かる。渋谷駅前交差点がランドマークになり得たのは、溢れる屋外広告物と、多方向に行き交う人ごみである。看板・サインの雑然とした空間と騒然と行き交う人の光景が折り重なって、渋谷という盛り場の熱気になり、それが経済・消費活動を促しているのである。屋外広告物が大人しく整然とした佇まいを見せれば、行き交う人の密度も熱気も薄まるはずだ。新宿駅周辺の写真を使って同様のことを試した岩嵜博論は、「どこの街だかよくわからなくなり、街の活気を感じさせないものになってしまう。ある程度予測はしていたとはいえ、ちょっとしたショックすら感じてしまう」(岩嵜2006)と述べている。このことは、都市の盛り場における看板やネオンサインが、街の賑わいを演出する舞台装置であり、経済活動には欠かせないアイテムだという証でもある。
 ここでもう1つ注目したいのは、屋外広告物を排除したことで、個々のビルの造形がいかに「調和」とかけ離れているかが浮き彫りになった点である。逆の見方をすれば、むしろ建物の不調和を屋外広告物が化粧をするようにカバーし、メイクアップ効果で華やかな賑わいを与えているとは考えられないだろうか。
 周囲と調和しないことが景観を乱すノイズとするならば、建築物自体が視覚的ノイズとして集中非難を浴びるだろう。そうなれば、今度は建築物すべてを取り壊せばいいのか。そして、それを東京中のすべての建築物に当てはめれば、すなわち美しい、善なる景観になるというのか。それは多様性に富んだ東京を否定し、単調な枠組みに押し込めようとする愚行でしかなく、「単純化された都市は、都市の成長と経済的な発展の過程に逆行する」(ジェイン・ジェイコブズ2010)ことになりかねない。つまり、成長する都市としてあり続けるには複雑化・多様化せざるを得ないのである。
Ⅳ.屋外広告規制の現状と課題
4−1.屋外広告物の取り締まり状況

 2−1で述べたように、2004年の屋外広告物法の改正以降、屋外広告物は自治体が設けた条例による取り締まりが行われている。また、屋外広告業者に対しては、従来の届出制から登録制度に変更され、違反を繰り返す悪質な業者に対しては、登録の取り消しや営業の停止が可能となった。これにより、行政指導に従わない業者は、従来のように罰金や個別指導だけで営業を続行することができなくなった(国土交通省2004)。
 しかし、違反広告物の取り締まりを積極的に行う公共団体が増えるものの、予算や人員が必ずしも十分でないことから、依然として多くの違反広告物が存在している(国土交通省2009)。また、屋外広告物の性質上、新旧の入れ替わりが激しく、違法広告物の件数や取り締まりの効果など、定点観測することが難しいため、多くの自治体がその全貌を把握しきれずにいる。また、行政にとって屋外広告物の取り締まりは必ずしも優先順位の高い業務ではないことも、違反を助長させている一因となっているといえる。
 こうした状況については、景観整備に力を入れている京都市の指導の現場でも「取り締まりだけではイタチごっこの繰り返しで違反広告物の是正には限界がある」(京都市2009)としており、取り締まりの強化よりも事業主側のコンプライアンス意識を向上させることが求められている。
 では、屋外広告事業者の意識はどうなのか。「屋外広告業アンケート調査報告書」(伊藤a2012)によれば、「条例違反の広告物が多い理由」(一般論)として「まちの美観よりも経済的理由を重視する広告主・屋外広告業者が多いから」に8割以上の事業者が「当てはまる」「どちらかといえば当てはまる」と肯定の回答を挙げている。また「条例の許可基準に従っていたのでは、広告主の要求に応えられない」「自分の土地・建物をどうしようと勝手だと考える広告主・施主が多いから」を肯定する割合も同様の値を示していることから、広告主の意識が違反に大きく影響していることがうかがえる。
 同様の視点において武山良三は、規制強化の副作用として「規制することの意図が広告主に十分伝わっていないこと」や「無理矢理従わせられたという被害者意識」「看板のインパクトが弱まったことに対する不安感」がかえって過剰な屋外広告物を増やしている原因になっていると指摘している(武山2009)。
 一方、自治体に対して行われた「屋外広告物事務に関するアンケート調査報告書」(伊藤b2012)によれば、違反広告物の原因を「屋外広告物に対する住民の関心の薄さ」とする割合が8割を超えている。以上のことから、違反広告物を抑止するには、広告主のコンプライアンス意識とともに、市民が問題意識を高めることが重要であることがわかる。
4−2.官民恊働の仕組みづくり

 広告主側が規制に抵抗感を抱く理由は、商売への影響に対する懸念であり、その根底には「違反は自分だけではない」という不公平感や「看板は大きければ大きいほど、派手であればあるほど客を呼ぶ」という意識がある(京都市2009)。これは、前述の「屋外広告業アンケート調査報告書」でも同様の回答が得られており、経済活動に支障を来すことへの懸念を払拭することが重要になっていることが分かる。そのためには、一方的に規制に従わせようとするのではなく、「条例に準じた方が利益になる」ということを提示する方が説得力を増す。つまり、広告主のステークホルダーに当たる地域住民、その街のファンである来街者が、好感をもつ広告とは何かという根拠を示すことである。また同時に、屋外広告とは単なる広告ではなく、空間を構成する広告景観であり、それには一定の公共性が求められるということ。それに反することは人に支持されないということ、つまり、広告がマイナス効果になるということを提示することが必要だ。
 京都のように歴史的景観を観光資源にしている地域と、東京の盛り場のように屋外広告物が街の活気を誘発する資源となる地域では、来街者の求める空間は異なる。つまり広告景観に求められる公共性とは、全国共通の定義ではなく、各街が独自に定義した個性・魅力を基準としなければならないのである。そのためには、住人あるいは来街者の意向をうまく反映しながら恊働の仕組みを作る必要になる。そこで、景観整備に関する官民恊働の取り組みを実践している自治体の例と、参考資料としてニューヨーク・タイムズスクエアの屋外広告の「逆規制」について紹介する。
(1)浜松市の事例
 浜松市は、屋外広告物条例の目的として「良好な景観を形成し、又は風致を維持するとともに、公衆に対する危害の防止を図ること」を掲げている。そして「良好な景観の形成と風致の維持」の実現を妨げているのが、様々な屋外広告物の乱立や違反であるとし、このことを解決するために、浜松市は2011年、市民、市民活動団体、事業者、関係機関等と恊働による「屋外広告物管理事業の課題解決における市民恊働モデル事業」を立ち上げ、行政課題解決に取り組んでいる。同事業が課題として挙げているのが、広告主の利益追求意識、行政と広告主の間で板挟みになる広告業者、地域住人の屋外広告に対する意識の低さなどである。
 これらの問題の解決方法を模索するには、景観も地域経営も主体となる「地域住民の思い」を基盤とすべきだとしており、「ゆりの木通り商店街」を対象にした市民参加による現場型ワークショップや、市民と建築士を対象にした屋外広告物に関するグループミーティング、「個人の美意識」から「まちの美しさ」へ視点を広げるデザインワークショップなどを行っている。このような地域住人の景観意識を高めるとともに、広告景観の受け手である住人(客)と提供側である事業主の視点をクロスさせることで、他者の視点を通した街の光景を再発見するという効果をもたらしている。今後は、市民の意向のまとめ役となるNPOを発掘し(現状はNPOが決定的に不足している)活用していくことが不可欠だとしている(浜松市2012)。
(2)歌舞伎町の事例
 新宿区は「健全な大衆文化・娯楽の企画、制作、発表の場 ~エンターテイメントシティ歌舞伎町~」を目指し、「賑わい型」の街づくりを推進している。これは、治安の悪化や美観を損なうゴミ、看板、違法駐車の増加を受けて行われた施策「誰もが安心して楽しめるまちに再生する「歌舞伎町ルネッサンス」」をテーマにした環境美化、安全対策、道路や公園等のハード整備の活動によって、歌舞伎町の治安向上に貢献したと評価されている。
 「歌舞伎町街並みデザインガイドライン」(新宿区2013)では、エンターテイメントシティとしての賑わいと活力の演出方法の1つとして、違反広告の取り締まり強化とともに、建築壁面等に掲出する屋外広告物の設置規模や範囲等の規制緩和を行うことが盛り込まれている。この規制緩和によって増収となる広告収入の一部を、屋外広告物の設置者から徴収し、地区の維持管理やイベント開催の費用に充当される(ただし、屋外広告物設置者(沿道地権者)との合意形成が必要となる)。また、街路、広場等の公共空間に広告スペースを新たに設置または拡大・発展させ、これらの広告収入も同様に地区のエリアマネジメント費用に充当するなど、継続的な地域活動を可能にするために広告を積極活用することにしている。
 また、屋外広告物の質の向上のために、1)違反広告の取締りの強化、2)屋外広告物デザイン基準の明確化とデザイン審査によるデザインコントロール、3)屋外広告物の設置規模や範囲等の規制緩和、の3点を挙げ、歌舞伎町独自の景観を創出することを想定している。
(3)ニューヨーク・タイムズスクエア
 かつてのタイムズスクエアは、麻薬の売買が横行するなど治安の悪化が進行していた。こうした状況に対し、ニューヨーク市は同エリアに対し、「派手なサインを設置しなければいけない」という通常の景観規制とは逆のかたちの制度を導入し、深夜までネオンサインが煌々と輝くよう義務づけ、さらに犯罪の温床となる風俗店などを撤退させることで深夜でも女性の一人歩きができる街に再生した(武山2005,2007)。
 その特徴は、1)かつてのエンターテイメントの街という歴史背景を景観の要とし、劇場のアイコン要素である電飾サインを活用したこと、2)テナント契約の条件にサインに関する条文かを細かく具体的に盛り込み、条件を満たさないことには入居できないようにしたこと(点灯時間からサインの大きさ、さらにその20 %以上が動かなければならないとしている)、3)デザインに関しては、「他の小売店と、色、世帯、サイン類の方法において統一性や関連性を待たさないこと」や「その店の経営者の個性を現すこと」が指示されていること、4)周辺地区との連携による総合的な計画、規制が実行される仕組み、デザインの質を維持するチェック体制などが挙げられる(宮沢2009)。
Ⅴ.まとめ
 「広告景観」という言葉は、1987年、建設省都市局長の私的諮問機関の形で開かれた「広告景観フォーラム」において、「質の高い広告景観の創出」をめざす意味を込めて使われ始めた。そこでは「規制一辺倒だった屋外広告物従来の行政姿勢の見直し」や「都市景観の多様性と地域性を大事に考える」ために、「従来のような一律規制ではない地方分権の必要性」、地域住民、屋外広告業者を含む三者を併せた「自主的取組みが重要」である旨などが打ち出された(坂野1997)。景観法が施行される以前に、有意義な議論がなされていたわけだが、この時点では「美しい」という概念には一切触れられていないことが分かる。
 本来であれば、「都市景観の多様性と地域性を大事に考える」ことを第一にすべきところを「美しい国づくり大綱」をベースにしたために、景観法には「美しく」「良好な景観」という概念が筆頭に謳われることになった。ただし、地域の特性にあわせて多様であるべき「美しい」「良質」の解釈が、「美しい国づくり大綱」においては、全体の統一感を秩序とする「調和」に主軸に置かれているため、盛り場のような雑然とした景観を否定しており、そこから生まれる経済的・社会的効果については考慮されていない。むしろ、「美しさ」というオブラートに包み、大規模公共事業を推進することで経済効果を図ろうとしているようにみえる。
 ただし、国が定める屋外広告物法は、景観上明らかに支障を来す広告物を規制する最小限の措置を定めたものにすぎない。詳細については各地域の自治体の条例に委ねている以上、本来ならば地域の個性を特徴付ける広告景観として、街の活性化に活用することも可能なはずだ。しかし、多くの自治体が「自分たちの街の魅力とは何か」という意思統一を図らないまま、規制一辺倒で条例を設けていることに多くの問題がある。それは、タイムズスクエアの景観政策の成功の秘訣は、規制の運営管理の綿密さはもとより、荒廃しきった地域の歴史的背景を掘り起こし、現代にうまく融合させられたことにあることからも明白だ。
 タイムズスクエアの規模までとはいかなくとも、広告景観を地域づくりに活かすには、住人(来街者)、広告主、屋外広告事業者、行政の4つの連携が必須であることは間違いない。そのためには、お互いのメリットを創出することが重要だ。住人(来街者)をまとめるマネジメント組織が確立されている場合は、新宿区の事例のように運営費を広告費からまかなうシステムによって、自立的かつ継続的な取り組みが可能となる(住人・来街者のメリット)。また、専門性の高いマネジメント組織が育てば、その意向は直結する屋外広告物に反映され、広告主の利益になる。広告主の理解が得られ、製作物の方向性が明確になれば広告事業者が広告主と行政との間で板挟みになることもない。それによって違法広告物が減れば行政の負担が軽減され、取り締まりではなくもっと建設的な地域活性化事業に予算を充当できる。こうしたサイクルを構築することが、もっとも現実的かつ継続的な取り組みになるはずだ。
 これまでの規制法は、規制される当事者のメリットや、規制することで得られる他者のメリットを論じてこなかった。「美しい景観」「醜い景観」についても同様である。悪いことをした子どもに対して、ただ叱るだけでは、「叱られたから悪いこと」だという漠然とした意識しか生まれない。それと同様に、してはいけない(否定する)理由とその根拠(あるいはリスク)を示し、言われたことを守るとどんなメリットがあるのかを説明するということは、今後の広告景観のあり方において最も重要な視点であると考える。
 なお本稿では、「屋外広告物の過密な状態」が最も顕著に現れている東京の盛り場を着眼点としたが、このことは「賑わい型の景観」を構想するすべてのエリアに共通する概念であることを最後に書き添えておく。
参考文献
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