屋外広告物の公共性を考える座談会の記事をアーカイブ

※広告景観研究所所長の高橋芳文が理事長を務めるNPO法人ストリートデザイン研究機構にて屋外広告物の公共性を考える座談会 [総合報道 掲載]を開催しました。
NPO法人 ストリートデザイン研究機構(SD機構、本部東京、髙橋芳文理事長)は、「屋外広告物の公共性を考える座談会」を8月31日午後4時から、東京・新宿の新宿竹林閣で開催した。
屋外広告物の公共性を考える座談会 [総合報道 掲載] この座談会は、髙橋理事長が司会進行を務め、屋外広告物の公共性をテーマに、サイン業界の問題提議を目的に実施した。パネリストは宮沢功(SD顧問、環境デザイナー)、増淵敏之(法政大学大学院教授、専門は、経済地理学、文化経済学)、高見公雄(法政大学デザイン工学部教授、㈱日本都市総合研究所代表)、中村伸之(NPO法人京都景観フォーラム理事、 ランドスケープアーキテクト、技術士)の4氏。

 髙橋理事長は開会にあたり、「屋外広告業、看板業を営む人たちが集まり、今後の方向性を話し合う座談会は、これまでにも行われていた。今日は業界に属していない人たちから見た屋外広告業界を語っていただくもの。どんな発言が生まれるのか楽しみにしている」と挨拶。引き続き、4氏がそれぞれ自己紹介を行った。

 大要は次の通り。

高橋 今回のテーマである屋外広告物の公共性をどう定義するのか、皆さんの意見を聞きたい。
高見 道路上に建ち、店舗に付随する広告物は、都市景観上、公共性があり、これを意識したものを作らなければならないと思う。
増淵 サインは自己主張するプロモーションツール。景観全体で考えたとき、渋谷駅前のスクランブルからの屋外広告物群は一見無秩序に見えるが、意外と違和感はない。
宮沢 歌舞伎町や秋葉原、香港など賑わいのある地域に、屋外広告物は必要。住宅街、マンションが集まる地域はサイズや色彩といった規制(ルール)を設けないといけない。
高橋 社会問題として考えた場合、屋外広告物は何が問題になってくるのか?
高見 屋外広告物は、その場所に必要なのかどうかが重要になる。例えば、駅前ビルの上にある広告物は、その広告主が周囲に存在(所在)するものであれば良い。逆に駅前というロケーション、多数の人たちから視認されるという理由だけで、その場所に広告主が存在しないものはいかがだろうか?
宮沢 自家用広告物は表札、自社の屋号をPRする性質なので、ひどいデザインは少ない。第三者広告は、隣の広告物より目立つデザインを意識したものが多い。自社の社屋、工場の広告物のデザインはキレイなのに、繁華街の広告物になるとひどいものもあるのが残念でならない。
中村 公共性の観点からは広告物が公共と共有し、風景と一体感のあるものであれば良い。近年、普及するデジタルサイネージは、動いている文字を読ませるのは思考を取られるので、個人的にはどうだろうかと言わざるをえない。大阪・道頓堀を例に挙げると、あの場所は昔、南下すると刑場・焼き場があり、禍禍しい場所とされた地域。これを非日常空間で賑わいを持たせようと、広告物の多い華やかな街となった。
宮沢 第三者広告は、自社の製品をPRするために設置されている。街のランドマーク的な存在として、街に賑わいを与えるものになれば、なお良いと思う。  高見 私も同感だ。都市景観の観点から一般生活者の意識と一致すれば、美しい世界が生まれる
高橋 シビックプライド(市民が都市に対して持つ自負と愛着)の観点はどうでしょうか?
増淵 まだ、日本としてはあまり定着していない考え方ではないか。
屋外広告物の公共性を考える座談会 [総合報道 掲載]宮沢 シビックプライドは、市民が誇りを持てる運動のことを指す。行政が街づくりに関する政策を市民に共有させ、納得してもらうこと、例えば、行政が屋外広告物のキャンペーンを行い、市民にコミュニケーションを図らないといけない。行政は規制のことしか考えていないので、広告物をコントロールする明確なビジョンが無い。街全体を行政がコントロールし、市民と一緒になって創り上げることが望ましい。  中村 街にストレートな表現の広告物が多いのは、気になっている。街の美観を考えた広告表現を求めたい。
増淵 物語調の広告物が少ないのが残念だ。一般生活者が多様化しているのに、送り手の広告主が気づいていないのではないか。
宮沢 街の中の広告物で、悪いのは量、コストで勝負する安売り、ディスカウントショップ。大手企業はイメージ広告が多いので、デザインに悪いものは少ない。競争の激しい業種の広告ほど好ましくないデザインが多く生まれる傾向だ。
高橋 SD機構では、7月末に中野駅前でまち歩き企画を実施した。参加者に好きな看板、嫌いな看板を主観的に発言してもらったところ、好きな看板は小さくて手づくり感があるもの、嫌いな看板は派手、けばけばしいものが多かった。売り手、作り手は一般生活者の視線でモノづくりしていないことがわかり、貴重な経験となった。個人的にはインクジェットプリンタ(IJP)の台頭で、写真を中心にしたデザインに悪いものも多く見受けられた。  IJPの活用は避けられないが、ブリキやトタンを使った100年使える手作り感のある看板を作っていきたい。IJP出力はデザインセンスが問われる。
宮沢 自家用の広告物では、手作り感のあるものも生まれるだろう。第三者広告、大型ビルボードの製作手法にあたっては広告主、広告代理店、デザイナー、出力会社にとってIJPは不可欠だ。設備があるから使わざるをえないという問題では無い。
増淵 いま、屋外広告業界の市場規模は増えているのか? 減少傾向にあるなら、ターニングポイントに来ているのではないか。
高橋 大量生産、大量消費、大量廃棄という社会が成熟している中、モノづくりも過渡期にあることは間違いない。景観法、屋外広告物法の制定で、京都市や福岡市の調査結果を見ても未申請の看板、広告物は多い。違反広告物がゼロになったら、街がキレイになるものでもないが…。
宮沢 違反広告物が増えているのは、規制が反映されていないからだ。例えば、歌舞伎町、新宿駅前の景観は異なるのに、同じ規制では捉えられない。行政はきめ細やかな規制を作り、多くの人材を登用すべきだ。
中村 京都は、屋外広告物規制を行うため、木屋町の袖看板の取締りを強化。看板が無くなることで、建物本来の姿が見られるようになった。行政が本気になって街をキレイにした好例だ。
高見 (スライド写真を見ながら) 看板が設置されていたものと、撤去されていたものを見比べると、明らかに街の景観が違う。
宮沢 京都・木屋町の取組みは良い事例。歴史の浅い駅前は規制をかけるべきで、逆に繁華街は街に賑わいを持たせる広告物が重要だ。行政は広告物を減らすという施策はあるが、活用するという前提が無い。近年、屋外広告物のガイドラインを作成する行政が増えてきたことは良い傾向。
中村 屋外広告物の活用法に関して今後、SD機構の活動計画に加えていただきたい。
宮沢 日本サインデザイン協会も同じ観点。広告物は街のランドスケープとして存在しなくてはならないと考えている。都市計画の段階で、広告景観に配慮した街づくりが求められる。
増淵 シビックプライドの話題に戻るが、場所性の議論をされていないことが問題。いま、歌舞伎町や渋谷の街から広告物を外すと、賑やかさ、華やかさという面で日本経済はトーンダウンする。また、若い人たちは外で酒を飲む機会が減っていると聞く。そうなると、自然と飲み屋街の人口も減少するので、新たなエレメントを加えないといけない。
中村 業態の変化を調べることが重要。京都は規制強化により、パチンコ店、麻雀店、飲み屋が減少。一方、美容室、エステ、マッサージといった女性をターゲットにしたお店が増えている。都市が女性化すると、これまでのギラギラした看板も不要になる。
宮沢 街に合わせた広告物の出稿コントロールが重要。道路からの出幅、壁面への設置数量の制限より、街の風景に合わせた広告物のガイドライン策定を求めたい。
増淵 日本は費用対効果の統計調査という点では不透明な部分も多いので、これを解消していただきたい。
高橋 ヨーロッパの店舗サインはシンボル的なものが多い。私は以前、看板は集客力アップに欠かせないものと考えていたが、今後はよりシンボリックなものを作っていきたい。
増淵 これも現状分析が必要だ。
中村 全体の景観を考えた時、可能性のあるストリートファニチャーも視野に入れないといけない。
宮沢 場所性は大変重要。屋外広告物は、風景の中で生きる。季節ごとにビジュアルが変化するのも広告物の特長の一つではないだろうか。
屋外広告物の公共性を考える座談会終了後に中村氏と増淵氏から屋外広告物の公共性についてコメントをいただきました。
中村伸之氏(NPO法人京都景観フォーラム理事、 ランドスケープアーキテクト、技術士)
1.本来、動線が集中し人が集まるところに店ができ、市が立つのでその存在を大きく宣伝しなくでも良い。商品を並べるだけでどんなものを扱っているかがわかる。
看板(主に暖簾)は屋号を示すためのもので、一文字か二文字を図案化したもので良い。
看板や格子やばったん床几や犬矢来などの町並みの「表層装置」は公と私のハザマである軒下に発生した。
町内の共同の井戸や祠も軒下に設けられた。軒下は本来「公」の空間であるが、経済の発展のために私的な利用が許され、町内の強い自治能力の元で管理されていた。
2.道頓堀のように負のイメージ(刑場、墓地、場末)を負った場所に人を呼び込む場合は、それを振り払うようなパワーが必要になる。
江戸時代の浮世絵の風景に見られるような派手なノボリや提灯は魔除けのお札のような効果が期待されたのではないか。
3.地域に自治能力がある場合は、看板も含め秩序のある都市景観が生まれる。
また、限定されたエリアにおいては、都市を活気付けるために、ある程度の破調も許される。しかしそれがボーダーを越えて広がると地域アイデンティティの混乱が生じる。
4.都市を活気付ける広告物と、個人の欲望を増長させる広告物とは別物である。それを区別するポイントは「シビックプライド」があるか無いかである。
「ここは欲望を開放しても良い場所ですよ」というメッセージは地域の荒廃を招く。
5.空気や環境音のように地域の景観や安寧もコモンズ(共有物)である。
コモンズは無秩序な利用で独占されやすい。あるいは無秩序な利用で枯渇する。
 (最近話題になった)マイケル・サンデルのコミュニタリアニズム対リバタリアニズムの視点で考える必要がある。
景観=地域アイデンティティを持続的に利用するために広告物の秩序は必要である。
しかし、上からの規制のみでは創造性が失われる。
6.高度成長期においては都市の活気は歓迎されたが、成熟志向の社会になると浮ついた活気が目障りになる場合もある。
広告物の様々な言語・記号が人々の脳に語りかけるとそれを無防備に受入れる人は疲れてしまう。
高齢者にとっては「眼に優しい」「脳に優しい」都市景観が望ましい。
増淵敏之氏(法政大学大学院教授、専門は、経済地理学、文化経済学)
屋外広告物の公共性ですか、これってお題としては結構、ハードル高いですよね。
ひとつには社会の変化によって、公共性という概念にも変化が見られるということですかね。
いわゆるニューパブリックですか、メディアではパブリックアクセスへと展開していますが、つまり行政主体から市民主体への転換なのですが、そうなると社会を構築していく各主体間の関係も変化せざるを得ません。
かつては非営利組織はこの中に組み込まれていませんでしたし、どちらかといえば行政が主導していったわけですね。
よく「産学官」とかいうようになってきたのも、協同を意識してからのことですね。
ただ広告ということでいえば戦前の三越の「学俗協同」や資生堂の意匠部門の拡張など、すでにあった形なのかもしれません。そういう意味では新しくもないのかと思ったりもします。
「温故知新」ではないですが、かつての企業の広告への取り組みを調べてみることも重要なのではないかと。
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