五行エレメンツ お客様に聞く-三宅信義さん(58歳)

自分が何なのか知らないと、自分を愛せない。だから自分を知るのが重要です

三宅さんについて

三宅信義さんは、川崎生まれ横浜育ちの58歳です。祖父も父も歯科医。三宅さんも中海岸デンタルクリニックを経営しています。同クリニックは、「治療から予防へ、予防から治未病へ」の考えのもと、「湘南癒やしのヒーリングスペース」を併設し、地元向けに各種イベントを行うなど、ユニークな活動を行っています。奥様とお子様の3人家族。

中海岸デンタルクリニック

(※ この事例に記述した数字・事実はすべて、事例取材当時に発表されていた事実に基づきます。数字の一部は概数、およその数で記述しています)

10歳の時、「問い」が下りてくる

- 三宅さんが「精神的な世界」に関心を持ったのはいつ頃からですか?

10歳のとき、道を歩いていて突然、「何故ここに生きているのか?」と問いが下りてきた、そこが始まりです。その問いはずっと離れず、それからデカルトなど哲学書を探究し始め、高校三年のころにようやくR.シュタイナーにたどりつき、「自分には生命の本当の姿は何も見えていない」と悟りました。

大学は歯学部に入りました。父も祖父も歯科医で、小さい頃から「おまえも歯医者だからな」と言われていた。本当は音楽家、指揮者になりたかったのですが、父には猛反対され「とりあえず歯科医免許を取ってからでも遅くはない」と諭され、歯学部に進みました。だけど学校にはあまり行かず、バンドで音楽のライブ活動したり、シュタイナーの講座や本に没頭しました。瞑想をしていると背中のエネルギーが上ってきて物凄い光がみえたりしました。でも、ある日突然、頭痛や吐き気、拒否反応に襲われた。

自分の中の霊的な能力や魂の力が十分でないところで瞑想を続けて有頂天になっていた。体に「まだはやい」と言われた気がし、心の探求はとりあえず休止した。

社会的に成功したが、死にたかった

- 大学卒業後はどうしたのですか?

大学卒業後、1年勤務医をして、27歳で最初の歯科クリニックを開業しました。最初からクリニックは大盛況で、成功しました。側から見たら、私はいつも優しくニコニコしている、腕が良くて人当たりのいい歯医者さんのようでした。患者さんは溢れ、朝から晩まですごく忙しかった。お金もたくさん稼げた。長座番付にも載るようになりました。最初の結婚もしたし、子供も生まれ、外から見れば幸せそうな成功者のように見えていたと思います。

ただ、だんだんとあまりの忙しさに、ストレスが大きく溜まり、内的なことは忘れ去られていました。そして、これは自分の本当にやりたいことではない、その思いが日に日に大きくなってきました。夜はキャバクラ通い、飲んだくれる日々。そんなあり方に、スタッフとの関係も日に日に悪化し、この先生、ニコニコしていても、心の中はちがうのだろうと見透かされていました。

その状態が数年続き、50歳を前にして、ついに「死にたく」なってしまった。もう歯医者の仕事もだんだんとままならなくなり、治療のキャンセルが繰り返される。そのうち患者も離れていきました。

精神的に不安で眠れないとメンタルクリニックに行き、うつ病の薬と睡眠導入剤をたくさん飲み続けました。そこへさらに、追い討ちをかけるかのように3・11の大震災が起き、あの津波で多くの人々が流される繰り返し流れる映像に、「人は一体なぜ生きているんだろう」という10歳の強烈な問いが再び現れ、心が砕かれ、手も震えが止まらず、仕事を断念し、失踪し、誰にも何も言わず全てを捨てて死ぬつもりの片道切符でアメリカに行きました。行き着いた先はペンシルベニア州のコニアレイクスという田舎町。その田舎のカビ臭い安くて小さなモーテルで2週間くらい、村上春樹のあの世の世界に入り込んでいきました。不思議なことに誰一人自分のことを知らない場所にいると、本当に三宅信義という自分がいるのかすら分からなくなってきました。

三宅信義さん

部屋で寝ていると、自分が何度も幽体離脱するのがわかりました。肉体を離れるとこんなにも自由になれ何処へでも行けました。自分に肉体があることがとても疎ましく思えました。そしてとうとうある朝この苦しい肉体を捨ててしまおう、今日こそひと思いに湖で死のうと思いました。湖に入って行こうと階段を下りると、ふと足下の咲いているタンポポに気がつきました。すると、突然、そのタンポポが、「あなたの命ではありません、生命はあなたのものではない。」としゃべり出した、えっと、、次の瞬間、私はタンポポそのものになっていました。そして自分を見た、、その姿、その肉体、その細胞一つ一つ神の光の息吹が輝き、全てが完全な、完璧でした。

「わたしはその瞬間なんて愚かだったのか思い知りました、、わたしが生命そのものだった、、わたしは最初から愛で包まれていた、最初から救われていたんだ、、」私はその場にへたりこみ、嗚咽し泣き崩れました。そして絶対的な安心感、安堵感に根底から包まれました。そしてタンポポから「このことを伝えるのですよ」と言われている気がした。

生まれ変わったわたしは、日本に戻り、ありのままで最高に価値があり、完璧な存在である自分。それを信じること。本当の自分を思い出し、本当の自分で生きる空間、生命がわたしであることを感じれて人生を輝かせる場を創りました。そしてそれは「医療法人愛光会」「茅ヶ崎ヒーリングスペース」として誕生しました。

五行エレメンツとの出会い

- 五行エレメンツのことはどう知ったのですか。

高橋さんとは、スピリチュアルのセミナーで知り合いました。そして「まず内的な鑑定をし、それを図案化して渡す」というアイディアを聞きました。ああ、それはいい、ぜひ作ってほしいと思い、依頼しました。

まず石嶋さんの鑑定を受けた。僕の誕生した年・月・日・時刻を聞き、そこから命式に基づいて、言語化していく途中、なんと驚いたことに石嶋さんは、先生は「何かの植物が必要で、それはタンポポだと思う」と言った❗️聞いた瞬間、もうびっくりして鳥肌が立ちました。その後も、私の本質に関わる言葉がつづいた。妻や子供との関係も分かってきた。そういう2時間でした。

- 完成した五行エレメンツを見て、どう思いましたか。

五行エレメンツ

「ああ、これだ」と思った。何だか、なつかしかった。タンポポが大きく書いてある。紫や緑も、好きな色合いです。これを見ると、静かに高揚するのを感じる。燃えるエネルギーではなく、安堵感にもとづいた、静かなエネルギー。

この太陽は、妻だと思います。照らしてくれる、暖かい存在。暖められて育つ。草花は、太陽が無いと育たないわけだし。

五行エレメンツのプレートは2つ作りました。一つはヒーリングスペースにおいています。もう一つは、自宅の南側の窓に置いてある。その場所には、子供が勝手に置きました。そこは窓があって、光が入る場所。うん、うん、そこでいいじゃないか、と思いました。

重要なこと

- いま、五行エレメンツを作ろうと考えている人に、何かメッセージがあればお願いします。

自分の本質を知るための鑑定、面談、ここが重要です。私たちは、自分を知るために、生きている。なぜここにいるのか、生まれてきたのか。それが腑に落ちて、やりたいこととと自分の使命が一致すれば、すごくラクになります。

やりたいことと、やらなきゃいけないことが分離しているのは、つらい。以前の私がそうだった。でも、そのつらさは、自分の本質とつながったとき、消える。自分がなんなのか知らないと、自分を愛せない。だから自分を知ることが重要。そのための鑑定の時間です。

鑑定の後、自分の本質を表現した図案、絵が提供される。これがいい。そういう絵を毎日見るのは、相当にエネルギーがもらえます。高橋さん、デザイナーの浦田さん、ありがとうござました。これからもがんばってください!

デザイナー、浦田よりひとこと

今回の五行エレメンツのデザインは私が担当しました。デザインの進め方は、石嶋先生から文章をいただき、それを見ながら、鑑定の本質に合致する図案を考える、というものです。

今回のデザインは、タンポポ、春を基調に、あたかかくする太陽をイメージしながら、「この色合いの方が暖かみが出る」「ここにこの色味を加えよう」など考え、石島先生にも質問しながら作りました。社内では、十干、十二支など占術の勉強会も定期的に開かれています。お客様の精神の本質を反映するデザインなので、よく勉強し、しっかり作り込んでいます。

興和サイン デザイナー、浦田

※中海岸デンタルクリニックのホームページ
※取材日時 2020年11月
※取材制作:カスタマワイズ
 
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