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お客様に聞く – 平塚しんしく横丁

平塚の「小さな歌舞伎町」を、うら若き女性デザイナーが 誰もがちょっと覗いてみたくなるワンダーランドに変えてくれた。

お客様に聞く - 平塚しんしく横丁

 
[しんしく横丁について]

JR東日本エリア全1655駅の中で、75番目の乗降客数(約6万人/1日)を誇る東海道線「平塚駅」西口から徒歩2分。東西約330メートルの「横丁」に軒を連ねるのは、市民生活に密着した表通りとは趣を異にするキャバクラやガールズバー、深夜まで営業する居酒屋など約60軒の「夜の店」。東海道線の横浜以西にこうした歓楽街が他にないことから、近隣の街からも客足が集い、高度成長期からバブルを超えて、長らくこの街に夜の賑わいを呼び寄せてきた。横丁商店会は1976年に発足。お話を伺った小澤会長は4代目。
(「しんしく」の名の由来:江戸時代に平塚は東海道の七番目の宿場町に定められ「新宿(しんしく)」と呼ばれた。戦前までは平塚駅前一帯にその地名が使われていたが、戦後、区画整理が進む中ですべて消失して、この横丁の名として残るのみとなった)

人生を賭けて舞い戻ったこの横丁の
本当の魅力を伝える「看板」が欲しかった。
● 商店会長としてのこの横丁への思いをお聞かせください

紅谷しんしく会商店会 小澤 正幸 会長僕は生まれも育ちもこの横丁ですが、学校を出てからは家業を継がずに土地活用の会社に入って、不動産管理の仕事をしていました。当時はその仕事をそのまま続けるつもりだったんですが、2011年に父が亡くなったのを機に、この横丁に戻る決心をしました。もともと代々の家業は時計屋で、かつては平塚で一番と言われるくらい繁盛していたんですよ。でも時代とともに時計屋という商売自体が衰退してしまい、2009年にやむなく閉店することになりました。父は時計店の傍ら不動産貸付業を営んでおりましたが、こちらも時代とともに事業が振るわなくなっており、亡くなった後に残された遺産を整理してみたら、借金の方が多くて、ほとほと参りました。結局、相続は放棄するしかなく、そのままこの横丁から退散してしまえば、僕はいまでもリスクのないサラリーマン生活を続けることができたのかもしれません。でも僕は勤めていた会社での経験と、業務上の必要から取得していた宅建という資格を生かせば、平塚という街の中では異色の存在であるこの横丁の可能性を、もっと広げられるんじゃないかと思ったんです。そこで、無謀に映るかもしれませんが、僕は一から会社を興し、なんとか資金を調達して将来性が見込める新たな物件を購入。この横丁をベースに不動産業を始めたんです。生まれ育ったこの横丁に、第二の人生を賭けたようなものです。だからどんなことがあっても栄えてもらわないと困るんです。

● アーチの改装を思い立ったきっかけは?

以前のアーチができたのは、約42年前。僕がまだよちよち歩きの3歳のときのこと。当時としては、あの銀色に輝くすっきりしたデザインは、かなり垢抜けてて「イイ感じ」だったと思いますよ。裏通りに急に光が差したみたいでね。時はまさに、日本全体が石油ショック後の好景気に乗って、ウォンウォンと音を立てながら、バブルへとまっしぐらへ突き進んでいた頃です。横丁にとっては最高にいい時代だったと言えるでしょう。でもその後どうなったのかは説明するまでもありません。いざ自分が再びこの場所に腰を据え、改めてあのアーチを眺めた時に、「時が止まっている」と思いました。かつてあのアーチを照らした栄光の日々は、もうとっくに過ぎ去っているのに、何も手を下されることなくなすがままに放置されている。私はその現実にだんだんと腹が立ってきました。意見をぶつけても、当時この横丁を支配していたのは「本当は薄々気づいているのに、誰も何もしようとしない」ぬるい体質でした。私のフラストレーションは否応なく膨らんでいき、ある時ついに我慢できなくなったんですね。一番目立つ場所に建つ自分の手持ち物件の壁に、「歓楽街」とデカデカと書いた電飾付き看板を掲げてしまいました。 アーチの改装を思い立ったきっかけ今から6~7年前のまだ商店会の会員にもなっていない頃でしたが、横丁のイメージ刷新のために、たったひとりで決行したんです。
自分の手持ち物件で、横丁全体をアピールしてるんですから、一定の評価は得られましたし、話題になって雑誌に写真が載ったりもしました。でも一部からは評判が悪かった。今思えば自分でもあれは浅知恵だったと思います。この横丁の持っている魅力は「歓楽街」だけで語れるものじゃなかったからです。

しつこくアーチの改装を迫る僕に当時の会長は
「お前が1 / 3 出すんなら、やろうじゃないか」と言った。
● アーチ改装のお考えに対する商店会の反応はいかがでしたか

2014年に入会してから、幾度となく役員相手に直談判しましたけど全然だめでしたね。当時の会長からは「そんなことやったって客が増える保証もないだろうが」と言われ、他の役員もそれに右へ倣えの姿勢を崩しませんでした。当時の役員は全員商売の現場からは退(しりぞ)いた70代の方ばかりでしたから、現場の状況に疎いのと、そのお歳になると何より「変える」ということ自体に抵抗を感じるんじゃないでしょうか。でも僕は諦めずに、時に「現場見ないで何言ってんですか」とか「どれだけヒマか分かってんですか」などと声を荒げながら、説得を続けたものです。そして事態が動いたのは2017年のことです。横丁の中でも一二を争う古くて大きなお店が立て続けに2軒もクローズするという報せが入ったのです。流石に古株の役員たちも現状維持を押し通せなくなり、このままではジリ貧に陥るリスクがあることを誰もが認めざるを得なくなったのです。もはや結論を先延ばしにする猶予はなく、横丁再生を迅速かつ、わかりやすく効果的に内外にアピールするために、僕が主張し続けてきたアーチ改装に加えて街路灯の柱も平塚ゆかりのベルマーレカラーに塗り替えることが決まりました。ただしこの後に及んでも会長からは厳しい条件が付けられました。「商店会から出すのは全体の1/3。市の助成金から1/3を出してもらい、残りの1/3はお前が出せ」と言うんですよ。もちろん、そんなことで引き下がれるわけありません。僕は受けて立ちましたよ。

● 興和サインに制作を依頼するまでの経緯について教えてください

興和サインに制作を依頼するまでの経緯まずは予算を立てないと何事も進まないので、以前から知ってる業者に、とにかく目立つことだけを考えて電飾仕様で見積りを出してもらいました。それを元にいろいろな手続きを進め、最後に市に書類を提出したところ、見積書に書かれている有効期限を過ぎているから出し直すように言われました。別に大した問題じゃない。業者に電話して、日付の訂正をしてもらえば済む話でした。でも何かが心の中に引っかかったんですね。そうです。なぜかわからないけどこの時、あの「歓楽街」の看板のことを急に思い出したんです。今の自分はあの時と同じようにひとりで突っ走っている。このまま行ったら、同じように失敗してしまうんじゃないかと……そんな不安が暗雲のように広がるのを感じました。それでは誰に相談するのか、と言ったときに思い浮かんだのは、他の役員の顔ではありませんでした。いま必要なのは、僕らにはない発想で横丁の未来を映し出してくれる、その世界のプロに違いないと思ったのです。以前から同じ看板業者でもユニークなアイデアや高いデザイン力があって、大掛かりなプロジェクトをたくさん手掛けている会社があることは、インターネットなどで見て知ってはいました。でも、そういうところはどうせうちみたいなちっぽけな商店街など相手にしないだろうと勝手に決めつけていたんです。横丁を生まれ変わらせるには、まずその発想を改めなければ、と思いました。イチか、バチか。とにかくチャレンジしてみよう。そうでないとこの先に待っているのは大して変わり映えのしない未来だけだ。他に比べれば小さい仕事かもしれないけれど、自分たちにとっては人生を賭けた大仕事なんだ。少しも臆することなんてないはずだ。僕はそう自分に言い聞かせて、めぼしをつけたいくつかの会社に、平塚から近い順に電話を掛けて行きました。そして‥‥結果はと言いますと、ちゃんと話を聞いてくれたのがたったの1社。興和サインさんだけでした。他の会社はどこも予想通りにそっけなくて、興和サインさんに行き当たるまでは正直「心が折れそう」になりましたよ。本当にギリギリの土壇場で、僕は以前と同じ轍を踏むのを回避できたというわけです。振り返ればあの時、見積書に書かなくてもいい有効期限が書かれていて、本当に良かったと思います。

ほんの数時間話しただけで、いちばん手強い会員までもが
興和サインに全幅の信頼を寄せてしまった。
● その後、デザインの提案から施工までどのようなステップで進みましたか

アーチや商店会についての基本情報やこちらの要望など、何度かメールでやりとりした後に、高橋社長とデザイナーの浦田さんに平塚までお越しいただき、はじめてお会いしました。僕はあまりいろんな人間が参加すると話がまとまりにくくなるので、まだ役員ではない若手ですが会の中では一番、積極的な(うるさい)人間をひとりだけ、呼んで同席してもらいました。
のっけから高橋社長に示されたのは「とにかく目立たせたいので、電飾で」という僕らの要望への反対意見でした。その理由は

① アーチ自体が設置から年数が経っているので、電気系統などで荷重の掛かる電飾は安全上問題がある。
② 夜になればネオンがたくさん瞬く街並みの中で、同じように発光する電飾が期待ほど目立つとは限らない。
③ この横丁の魅力を表現するには、電飾よりグラフィックにお金を掛けたほうがいい。

これを聞いただけで、「ああ、やっぱりプロの意見は聞くべきだ」と思い知りました。そして、あのまま電飾で突っ走っていたらと考えたら、額を冷や汗が伝いました。
一方、デザイナーの浦田さんは、すでにグラフィックの基本的な構想をお持ちで、その場でこんな提案をしてくれました。
「アーチに大きく“しんしく”という横丁の名を掲げても、あまり意味がないと思います。訪れた人に伝えたいのは“しんしく”という名前じゃなくて、ここには他の通りにはない面白いものがありますよ、ということだと思うんですよ。この横丁の他にはない魅力とは、いったいなんでしょうか?」。
そう聞かれて、若手会員の彼と二人でしばらく考えた末にこう答えました。
「キャバクラもあるけど、居酒屋、寿司屋に沖縄料理と盛り沢山で、ちょっとした夜のテーマパークみたいなところじゃないですかね。本物のテーマパークに例えれば、もちろんディズニーランドやUSJじゃなくて、浅草の“花やしき”みたいな感じかな。詰まるところここは平塚にある他の通りと違って非日常なんですよ。肩書きも何も関係なく、心置きなくただ楽しく遊んでもらうためだけにある場所。そう思ってもらえたら嬉しいですね」と答えました。
浦田さんは「とても面白いです」と言って目を輝かせながら、すぐにデザインに取り掛かることを約束してくれました。お二人が帰った後、同席した若手会員は興奮冷めやらぬ様子で、「あの会社はいい。出来上がりが楽しみだ」と言っていました。

● デザイン案を一目見たご感想をお聞かせください

期待通りでした。まさにテーマパークの入り口みたいで、これを見たら絶対に「ちょっと覗いてみよう」という気になるだろうと思いました。仲良く酒を酌み交わしている人々の中に、何人かこの横丁の店主の顔が混じっているかと思えば、横丁のすぐそばにある「番長皿屋敷」のお菊の墓に因んで幽霊の一群まで登場させるなど、遊び心も満載。話題性も期待できそうです。全ての会員に意見を聞きましたが、大方は好反応。中には不満を漏らす会員もいましたが、今回は「歓楽街」の時とは違って、この通りにある全てのお店のことを考えたコンセプトに基づいたデザインなので、堂々と反論することができました。コンセプトがブレていない以上、好き嫌いというのは個人の感覚という全く次元の違う問題です。それを全て調整していたら収集がつきません。最後は「このデザインはユニークで集客効果も高い看板をいくつも手掛けているプロからの提案だから、その力を信頼して欲しい」と言って、納得してもらいました。

横丁から放たれるオーラが変わり、
確実に、新たな風が吹き始めている。
● 出来上がって3ヶ月が経ちましたが、横丁にはどのような変化がありましたか

出来上がりを見に来た市役所の人とか、付近にお住まいの方からは「明るくなった」と総じて好評です。まだ集客に反映するほどの効果は出てませんが、明らかに昼間の人通りが増えているし、横丁が生まれ変わったことは日々実感してます。この間なんか学校帰りの小学生が連れ立って楽しそうに歩いていたんですが、改装前だったら正直「こんなトコ来ないほうがいいよ」と言いたくなったと思います。でも、あのアーチの下だと子供が歩いていても全く違和感がないんです。子供を持つ親としては、それも密かに嬉しかったですね。それから、元々は屋台で営業していた評判のスープカレー屋さんが、最近横丁にお店をオープンしてインターネットで話題になってますが、そこへ訪れた若いお客さんたちは誰もがアーチを興味深そうに眺めています。「歓楽街」を目当てに来る人ばかりじゃなくて、若者や女性など幅広い客層にも確実に「ウエルカム」なオーラを感じてもらえるようになったのは改装前とは180度の変化です。これはひとえにデザイナー浦田さんのお手柄だと思います。実は横丁のお店の中にはとてもおしゃれな喫茶店なんかもあって、そうしたオーラで招き寄せたお客様が横丁に足を踏み入れたら、いままで知らなかった発見をいくつもしてくれると思うんですよ。今後はそうしたお客様はもとより、ここに店を開いてみたいと思う出店者の方々もできる限り呼び込んで、この横丁を活性化して行きたいと思っています。
2019年の1月、前会長は、新しいアーチの完成を待たずに、お亡くなりになられました。相前後して古参の役員の方々も次々と引退。会長の座は僕が引き継がせていただき、役員の平均年齢も40代へと一気に若返りました。これからは僕ら新しい世代の腕にかかっているわけですが、生まれ変わったこのアーチの下で、浦田さんが描き出してくれた横丁の目指すべき未来を仰ぎ見ながら、確かな歩みを進めて 行ければと思っています。

ライトアップされた夜も、陽 の光を浴びる昼も、通りが かった人は思わず見上げず にはいられない。

ライトアップされた夜も、陽 の光を浴びる昼も、通りが かった人は思わず見上げず にはいられない。

ライトアップされた夜も、陽の光を浴びる昼も、通りがかった人は思わず見上げずにはいられない。

制作を終えて
─ 今回のデザインの狙いや表現のポイントは─

私は生まれてからずっと東京の三軒茶屋という街に住んでいます。三軒茶屋と言えばカフェブームの先端をいく、お洒落な街というイメージですが、それは表通りの話です。私が子供の頃から慣れ親しんできたのは、小さな個人商店が立ち並ぶ裏通りでした。私はその裏通りが好きで、看板が好きになったのもお店の軒先に並ぶ思い思いの看板を見て育ったからです。これまでやらせていただいてきた一つのお店の看板とは違って、今回のお話は街全体を明るくして、魅力的にするという難しいお仕事でしたが、自分の思いを重ね合わせながら、表通りには決して真似のできない、少々破天荒な異色の個性を打ち出してみたいと思いました。例えば銀座の「みゆき通り」とか吉祥寺の「サンロード」とか、表通りの商店街ではアーチに大きく名前を入れますが、裏通りでは意味がないような気がして、会長様の語 られたしんしく横丁本来の魅力を前面に出そうと思いました。モチーフはすべて酒場やスナックなどの夜の店での人間模様ですが、ステンレス製アーチの冷たいイメージをガラリと変えるため、色彩はできるだけ鮮やかにして、昼間でも街を明るいイメージで染め上げて「夢のある」世界観を創出できるよう努力しました。

─どんな施工方法で色鮮やかなイラストをアーチ上に再現したか─

軽量で丈夫、そのうえ錆びることもなく変形にも強いアルミ複合板に、屋外耐候性に優れたインクジェット出力シートを貼るペラ看板という方式です。

─ 実際に施工する段階で苦労した点は?─

柱ごとにサイズが少しずつ違ったり凹凸があったりして、施工の担当者は相当苦労したようです。データを作る際も、アーチには入らない予定の部分まで絵を描いて万が一ずれても補えるように製作していましたが、施工完了するまでは、もしも絵づらが足りなかったらどうしようと、正直かなりドキドキしました。

─ 完成したアーチを見た感想─

以前施工前にお伺いした際は現在に比べてあかりも少なく、さみしい感じがしましたが、カラフルな色とスポットライトで道自体が明るくなった印象がしました。
活気のある印象になっていたのと、通りがかりのカップルのお二人が楽しそうに見上げている様子を見てとても嬉しかったです。

デザイナー 浦田美空

デザイナー
浦田美空
うらた みく

[プロフィール]
2018年、横浜美術大学卒業。子供の時から看板が好きだった。美大を卒業した時、興和サインは求人を行っていなかったが、自分からアプローチして「押しかけ就職」した。

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